末期ガンから生還した人たち

2年前(2014年)にチェンマイでお会いしたご夫婦がいます。

夫73歳(当時)で末期ガンで
余命3ヶ月と告げられて、チェンマイに来ました。

友人宅でお会いした、
そのご夫婦はチェンマイに来て6ヶ月が経っていました。
(余命期間を過ぎています)

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チェンマイに来た理由は
断食とビーガン食がタイのほうが簡単であること
(断食とビーガン食)
ハーブを使ったマッサージをすること
(体温を上げるためにハーブボールマッサージ)
の二つです

「医者から渡された薬は日本に置いてきた」といいます。
野菜中心の食事法(ベジタリアン)ではなく、ビーガン食を選びました。

「死ぬ覚悟」「命を懸ける」「絶対にあきらめない」
この三つの言葉が印象的でした

顔色は健康そのものですが痩せています。
筋肉が衰えるのを防ぐために、歩く瞑想が中心と言ってました。

6ヶ月滞在して帰国したと友人から聞きました。

連絡先を聞き漏らしたために
その後の経過は残念ながら聞いておりません。



タイには、古来より「アハーンジェー」の習慣があります。

菜食をอาหารเจ(アハーン・ジェー)と言います。
もう一つ菜食を表す言葉にมังสะวิรัติ(マンサウィラッ) があります。

この二つどちらも、動物の肉を食べないという事では同じです。

マンサウィラッは卵や牛乳なども大丈夫です。

アハーンジェーは卵も牛乳など動物由来のものは全てダメです。
おまけにニンニク、ニラ、タマネギなどの香りの強い刺激物はダメ。

2016年9月2日我家の朝食兼昼食です
ご飯 もち米の玄米6 カーオガム4 で炊き上げ黒ゴマのフリカケ
野菜 ニンジン、とまと、アボガド、黄ピーマン、ラディッシュ、ゆで卵、
    ドラゴンフルーツに白ごまをかけます

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同日の晩御飯
ご飯 私はおかゆ 妻 もち米の玄米6 カーオガム4 で炊き上げ黒ゴマのフリカケ
おかずはすべて畑と山で採れたものです
 長インゲンの胡麻和え(私用)と茹でたもの、オクラ、キノコスープ(ヘッカミンその他)、リンファーの焼いたもの
 ノーマーイ(タケノコの茹でたもの)、卵焼き、漬け汁(ナムチム2種類)

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以降
ここに載せる記事は
筆者が直接、取材はしておりません
テレビ報道やブログ記事、ユーチューブからの取材です



事例1
余命20日から生還

余命20日の末期がんから生還した、愛知県常滑市在住の山下さん。
山下さんは、現在72歳。2004年8月、62歳のとき、末期がんで「余命20日」の宣告を受けます。

山下さんは言います。
「末期の悪性リンパ腫です。腸に15㎝の腫瘍もあって、
すでに肺に水が溜まっていますよ。苦しくないですか?
今月末が息子さんの結婚式ですか・・・どうでしょうね?
そこまでは無理かと思いますよ」

でも医師はこうも言ってくれました。

「西洋医学では、もう手の施しようがない。
でも、世の中にはいろんな方法でがんを克服したという人がいるのだから、
やれるだけのことはやってみたらいい。
私にできるのは検査をしてあげることだけだから、それは協力するよ」

そこから、家族一丸で、山下さんの“がん治し”がスタートしました。

家族は、知人の紹介で、
愛知県豊田市にある「ユーユー健康館」の前田先生のところに向かいます。

交流磁気で体を温め、血液の流れを良くし、前田先生の“足つぼ”マッサージ。
前田先生の足を揉みながらの食事の指導。

せっかく血液の流れを良くするのだから、
いい食べ物を食べ、良い血液を造り、その血液を体に流してあげた方が良い。

玄米を食べ、酵素を取るために生野菜、みそなどの発酵食品を食べ、
体温を下げる白砂糖は摂らないようにするよう、指導を受けます。

山下さん家族が実践したこと。

・毎日の交流磁気と足ツボ
・免疫を高め、気の流れを良くするという鍼治療に週2回行く
・線香を使って体を温める治療に週1回行く
・免疫を高める方法を紹介する本に載っていた、
 ボールペンのようなものを使って父の指先の爪の脇をカチっと、刺激する
・面白いことを見つけてゲラゲラ笑う
・玄米食、生野菜を毎食食べる
・根菜類、海にあるもの(わかめ等の海藻類)を食べる
・酵素を取り入れる
・甘いもの、体を冷やすものは食べない
・水を見直す
・山や川へ出掛けてきれいな空気を吸い、
 心穏やかに、恐怖心を捨て、感謝の心を持つ。

そして、1か月間、40度以上の高熱が続き、
3か月後の検査で、腫瘍はきれいさっぱり消えていました。



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事例2

28歳の時、体の不調で、病院に行き初めての診察でいきなり癌の宣告を受ける。
卵巣がん「スキルス性」でステージ4、胃にも転移して腹水が溜まっていた。
余命はおそらく、半年でしょうと言われる。

病院で手術を受ける。
まず、腹水を3キロ抜いて癒着している右卵巣、卵管、左卵巣の3分の2、
子宮の一部のがん組織、胃の4分の1、鼠径リンパ腺を取り除いた。

それから月の内、2週間は抗がん剤治療、放射線治療で入院を伴う病気休暇。
残りの2週間を勤務に充てることで退職することなく治療をスタートした。

その後、腎臓、脊髄、乳房にも癌が転移する。

いろいろな先端治療を繰り返しいつしか3年近く経っていた。
31歳の時、脊髄に転移したがんの痛みから、
ついに立ち上がることが出来なくなり、車いす生活になる。

ボロボロになった体で、次の検査があった。
次は肺にがんが転移していることは薄々感じていた。

もしこの検査で癌が肺に転移していたら、
すべての抗がん剤治療は止めよう、
緩和ケアも辞めて好きに過ごそう、と心に決める。

そして検査、宣告の日、肺にスキルス性の腺がんが見つかりました。
進行が速いタイプですので、今の体力からいけば3か月くらいが目安です。
覚悟はできていたので、意外とスッキリしていた。

自分は癌との戦いに負けたのだ。
私は「3か月間、もう治療は一切しません。息絶えることは自然に還ること。
   そのまま癌の疼痛と共に過ごしてゆきます。
   最後にフランスに絵を見に行きたいのですが」

担当医は唖然とした。
「今の状態では、感染症にかかったら、そのまま肺炎がもとで亡くなってしまうかもしれませんよ。
それでいいのですね」それが担当医と交わした最後の言葉となった。

あと3か月の命、フランスに行って「モネの庭」が見たい。
旅行会社に無理に頼み込んでフランスに行った。
最悪の身体で、むくみ、微熱、癌の痛み、から咳が止まらない。

大好きなモネの庭を見てこれでいつ死んでも良い。
そんな時、から咳が止まらなくなった。喉の乾燥もひどく感じる。
市場で売っていたトマトをかじってみた。

ほ!ほ!なんだか舌の裏から水分が上がってくる。
うわー どんどん上がってくる、甘さも感じる。
涙がぽろぽろ出てきた。トマトという食材と体。

食材が身体を作り上げていることを感じた彼女は、
それから料理教室に通うことにした。
食について学ぶうちに、いつしか4年が過ぎた。

車いすから杖、今では自力で歩けるようになっている。

その後、中医学の薬膳料理学校に入り、
1年間勉強して、免許を取得している。

現在はテレビ、ラジオで料理講習会を開いて人気の講師となっている。



末期がんから生還した人の経歴を見ると、
最後は3代化学療法を一切捨て、独自の代替え医療を編み出して、成功している人が多い。

癌を敵とみなして、戦争をするのではなく、
癌も自分の細胞の一部であると考え、
共同生活ができる体内環境を整えることが、
体の中の平和につながると思いました。






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