タイの仏教の話 四苦

仏教といえば、
四苦八苦を知っている方は多いと思います

四苦「生老病死」ですが
タイでは「生老痛死」になっております

タイのお葬式にこの言葉が多く出てきます

生まれる苦しみ(生まれる เกิด クート) 
20166131

老いていく苦しみ(老いる แก่ ゲー)
20166132

病気にかかり痛い苦しみ(痛い เจ็บ ジェップ)
20166133

永遠に生きられない苦しみ(死 ตาย ターイ)
20166134

仏教の出発点は、「一切皆苦」と知ることから始まります
一切皆(全てのことは)苦(苦しみ)であり、

人生は思い通りにならない


このことに気づくことが始めです

人生の苦しみとは、
一寸先がどうなるかわからないという未来への不安の苦しみがあり、
それから万事自分の思うようにならないという不満の悩みがあります

そんなことを歌にしたタイのMVがあります
(CG画像でリアルすぎて気持ち悪く見えます)
一ヶ月で470万回を記録した爆発的なヒットソングです

タイ人の心の奥底にある宗教観の映像です



歌詞の内容は次のようなものです

กายที่เธอมองเห็นว่างาม
สุดท้ายความเสื่อมทรามจะมาพรากไป
ร่วงโรยลงในสายธาร ยามกาลเวลาหมุนไป
ชีวิตต้องแตกสลายไม่มีเที่ยงแท้

素敵だと思う私のこの体は 
最後は腐敗してしまうもの
時が経てば、いつか人生は終わる

ผมเส้นงามถึงคราวร่วงไป
แขนขาที่เคยว่องไวกลับไร้เรี่ยวแรง
โรคภัยเฝ้าคอยคุกคาม ติดตามไปในทุกแห่ง
เกิด แก่ เจ็บ ตาย สำแดงเป็นธรรมดา

大好きな髪の毛はいつか抜ける
動きやすい手足も、だんだん無力になる
病気から逃げることはできない
生、老、痛、死は自然なことです

หากเธอมองทุกการเกิดมาที่มีอย่างลึกซึ้ง
เราทั้งหลายต่างถูกรัดรึงด้วยกามและตัณหา
ดั่งแมงมุมที่วางสายใย กลับติดใยที่ตนสร้างมา
เกิดวนอยู่ในโลกาไม่หลุดพ้นไป

人生を深く見つめると
私たちは自分の作った欲求の罠にはまり
自分で作った巣にとらわれている蜘蛛ように
人生の連鎖から出ることができない

ห้วงแห่งภพจบลงที่ใจ เห็นภัยที่เกิดมา
ในสังขารที่เคยแบกมากำลังเสื่อมสลาย
เปิดดวงตาเห็นความสัตย์จริง
จากความจริงของเมืองแห่งกาย
ตราบที่ลมหายใจสุดท้ายจะคืนสู่ดิน

始まりも終わりも心の中にある
真実を観ることができれば
肉体の世から逃げることができます
息は止まり死を迎えれば、体は地に帰るだけ

ที่เคลื่อนไหวในลมหายใจ ที่มีแต่ปัญญา

息の中にあることは聡明です
(瞑想の中にあること)



実はこの歌は瞑想法の一種です

20166136


อสุภกรรมฐาน 日本語では不浄観といいます

不浄観とは

お釈迦様は、出家の弟子たちには修行の場として
静寂な森林や山、洞窟や樹下に加え、墓地で瞑想することを勧められました

タイなどの上座仏教国では、
今日でもこの死体を観察する不浄観がきわめて意義ある修行と位置づけられています

『長老偈(テーラガーター)』には、
死体置き場で女性の死体が投げ捨てられ放棄されて、
ウジ虫がみちみちて喰われている様子を観察し、
世をいとい、解脱にいたった長老の話が登場します

タイでは、警察病院などの遺体解剖室には
比丘はフリーパスで入室が許され、不浄観の修習がなされています

不浄観は、
性欲の横溢な人に適した修行とされています
誰もが肉体の欲求に振り回され生きていることを考えれば、
不浄観は万人にとって必修すべき修行と言えます



十不浄の方法

不浄観は「十不浄業處(十種類の不浄なる瞑想の対象)」として説かれています

「十不浄」とは、死体が次第に変化していく様子を
その段階に応じて観察し、人間の肉体は不浄なものであると観て愛欲を遠離するための瞑想法です

 (一)膨脹相・寿命が尽きて数日経ち、しだいに皮膚が膨張した死体を観想する

 (二)青お相・皮膚が青くなり膿んで白くなった死体を観想する

 (三)膿爛相・皮膚やぶれ膿が流れ出ている様子などを観想する

 (四)断壊相・戦場などで切られたり、獅子や虎によって喰い裂かれた死体の切断された様子を観想する

 (五)食残相・犬や禿鷹などにつつき喰い散らかされた死体を観想する

 (六)散乱相・手足頭が別々に散乱した死体を観想する

 (七)斬斫散乱相・四肢五体を斬り刻まれ散乱した状態を観想する

 (八)血塗相・血が流れ飛び散った状態を観想する

 (九)蟲衆相・ウジ虫が充満し這い回る様子を観想する

 (十)骸骨相・骸骨となりはてた死体を観想する

『清浄道論』には、この不浄観を修する場合の注意事項として

①その場所に至りては、目にする周囲の様子を細かく観察しつつ死体を眺める

②そのうえで、その対象である死体の十種の相に応じて
 色、特徴、形、身体の向き、手足頭、関節、身体の凹凸などと細かく観察し、
 目を閉じてもその相が違わずに現れるまで瞑想する

③もしも、その場で禅定に入らざれば、瞑想しつつ歩き、適当な場所にて、
 その不浄相に心身をかたむけて座すべしと述べられています

その功徳として生死の苦界から脱しようという心が起こり、
愛欲が断ぜられ瞋恚も断じ、五蓋(世俗の貪欲、悪意と怒り、
沈鬱と眠り、うわつきと後悔、疑い)が捨断されて初禅に至るとあります

参考文献
「小野小町の九相図」はとくに有名です
興味ある方は、小野小町の九相図で検索しください







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