胃ろうは慰労にあらず

胃瘻(胃ろう)は
口から食事をとることの困難な人に対して、
直接胃から栄養を摂取できるように人為的に造られる「第二の口」です


「口から食事をとることができない」
「口から食事をとることが困難」である場合に、
胃ろうの手術が適応されます。

また日本では、介護の問題で
「口から食事をすると、誤嚥(ごえん)の危険性があり、家族では対応が難しい」
という場合にも、胃ろうの手術が適応されるケースがあります

日本では1年に10万人ほど胃ろうの手術を受ける人がおり、
全国で胃ろうを利用している人は40万~50万人ほどとなっています

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胃瘻(胃ろう)は虐待(ぎゃくたい)という考え方

胃瘻(胃ろう)という医療技術は、口からものが入らなくなった患者に対し、
おなかに穴を開けて胃にチューブを差し込み、養分や水分を送り込むものです

これはもともと、食道が狭くなっている子供用に開発されたものです


ところが日本では、これを口からものが入らなくなった年寄りにまで転用してしまいました
以前は全身麻酔をかけて外科的に胃瘻を作っていたので患者は限られていたのです

けれども局部麻酔で胃カメラを使って
10分か15で簡単に作れるようになったため、大きく普及しました

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胃瘻を作って年月を重ねると、
寝たきりで意識の疎通もなく、手足の関節も固まり、
これが人間かと思うような悲惨な姿に変わり、
死んだ後、手足の骨をポキポキ折らないと棺桶に入らなくなります

死んでいるから痛くないというものの、
そんな状態になるまでムリヤリ生かすことにどれほどの意味があるのでしょうか

胃瘻を作ることも本人の意思ではなく、家族の意向ですが
患者本人の意思を尊重するリビングウイルがないのも一つの原因です

親と子が「死を視野」に入れてきちんとかかわって
こなかったつけですから仕方ないともいえます

現在のところ、
一度始めた胃瘻は、日本では中止できません

止めるとすぐ殺人と騒がれますから、日本ではいくら中止を要請してもダメです

フランスでは
自分の口で食べられなくなったら医者の仕事は終わり、
後は牧師の仕事 といわれているそうです

日本から北欧へ研修に行っていた介護関係者が、
食べようとしない年寄りの口にスプーンでムリに押し込んで、
こっぴどく叱られたというエピソードがあります

「あなたは本人の意思を無視するのか」と
これは文化の違いですから一概にどちらがいいとはいえません

食べやすい形に調理を工夫してもらうことは頼まなくてはなりませんが、
ムリヤリ、口の中に押し込むのは願い下げです

口をつけなかったら黙って下げるのが、自然のような気がします

患者の身体が要らないといっているのに、
ムリヤリ押し込むのはかなりの苦痛と負担を強いているはずです

医者から言われる言葉に
終末期医療の場面、口から食べられなくなった患者について、
医師が家族に対し次のような言明をする場合があると聞きます

  
「胃ろうの設置を考えなければなりません、
  どうするかご家族で相談して決めてください
  ただし、いったん設置したら取り外すことはできません」


簡単に言えば
胃ろうをしなければ、食べないので何日かで死亡します
胃ろうをすれば、延命はできます
患者の生死を、家族が決めろ というわけです 


しかも、いったん胃ろうを始めたら、取り外すことはできません
と言われます

なぜ「取り外すことはできないか」と尋ねた場合、
医者は決まって「それは法によって決まっているからです」とか
「それは殺人罪に当たるおそれがあるからです」という答えが返ってきます

このような対応をされた家族は困惑する
医師の側はこのような状況に繰り返し遭遇しているかもしれないが、
多くの家族にとっては初めての事態です

しかも、家族(患者)の生死に関わる決断をするように迫られる

胃ろうによる栄養補給で患者が少しでも長く生きられるなら、
設置するのが当然の義務であるかのように思い
結局、胃ろうの手術を受けて、
患者も、患者の家族も長く苦しむことになります







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