「足りるを知る」と「安楽死」

「高瀬舟」を久しぶりに読んだ

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森鴎外
の代表作「高瀬舟」のテーマは、「知足」と「安楽死」です

医者(軍医)だった「高瀬舟縁起」に森鴎外自ら書いています

安楽死という概念は、日本でも明治時代にすでにありました




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 「知足」

 「庄兵衛はただ漠然と、人の一生というような事を思ってみた。

 人は身に病があると、この病がなかったらと思う。

 その日その日の食がないと、食ってゆかれたらと思う。

 万一の時に備えるたくわえがないと、少しでもたくわえがあったらと思う。

 たくわえがあっても、またそのたくわえがもっと多かったらと思う。

 かくのごとくに先から先へと考えてみれば、

 人はどこまで行って踏み止まることができるものやらわからない。」



 その点、罪人・喜助は、苦しい生活から一転、

 皮肉にも罪人となることで、食事をもらえるようになり、

 流刑先での生活費までもらえるようになり、晴れ晴れとしている。

 あの極貧生活に比べれば、十分すぎるほどの待遇をしてもらっていると、

 満足している様子に、船守りの庄兵衛 は、

 「足るを知る」境地にいるような喜助に、人生というものを考えさせられる




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 「安楽死」

 喜助の犯した罪は、弟殺しの罪であったが、

 苦しむ弟を楽にしてやりたい、という一心からの行為であり、

 殺意ある殺人ではなく、いわゆる「安楽死」であった。

 「これが果して弟殺しと云うものだろうか、
 
 人殺しと云うものだろうかと云う疑いが、

 話を半分聞いた時から起ってきて、聞いてしまっても、

 その疑いを解くことが出来なかった。

 弟は 剃刀を抜いてくれたら死なれるだろうから、抜いてくれと云った。

 それを抜いてやって死なせたのだ、殺したのだとは云われる。

 しかし其の儘にして置いても、

 どうせ死ななくてはならぬ弟であったらしい。

 それが早く死にたいと云ったのは、

 苦しさに耐えなかったからである。

 喜助はその苦しみを見ているに忍びなかった。

 苦から救ってやろうと思って命を絶った。

 それが罪であろうか。

 殺したのは罪に相違ない。

 しかしそれが苦から救うためであったと思うと、

 そこに疑いが生じて、どうしても解けぬのである。」

 苦しみがあれば、苦しみがなければと祈る。

 苦しみが無くなりさえすれば、それで十分、それ以上は望まない、

 とその時は思う。

 贅沢は言わないから、この苦しみから解放されたい、と願う。



 人間は、生きていること、それだけで素晴らしい、

 そのことを喜ばなくてはならない、と言われる。

 でも、苦しくなると、とてもそんなことは言っていられない。

 生きているだけで満足せよとは言えない。

 「生きている」
 ただそれだけに満足できなくなったときが、死ぬときなのだろうか?

 安楽死の是非の境目は、あるのだろうか?

 人間は、何がどうなれば、満足できるんだろうか?

 満足してしまったら、向上がなくなると人は言う。

 それでは、死が避けられない人にとっての、向上とはなんぞや?



 どこまで頑張れば、

 「十分頑張った、頑張ってきてよかった」

 と満足できるのかが分からない?

 そもそも、お金にしても「知足」などあり得るか?

 儲かれば儲かるほど、もっと欲しくなるだろうし、

 刺激が更なる刺激を求め、欲望は肥大し、止まらなくなる。

 やがて、その欲望が、自分自身の首を絞めることになっても・・・。



 「安楽死」

喜助の穏やかさの基になっている 「知足」

どのように捉えるかは、人それぞれでしょうが

答えが出ずに、いつもここで止まってしまう私の読後です。



自殺幇助が合法化されているスイスで
宮下洋一氏が、ある女性を取材した記事です

「安楽死選んだ女性 最後の16時間の一部に密着」

http://news.livedoor.com/article/detail/11474208/






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認知症革命その2

NHK認知症革命の後半

「最後まで、その人らしく」

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「認知症になっても、その人らしく穏やかな人生を生きていく」
ためのヒントを探る。

日本では、“認知症”と診断されると、
本人も家族も絶望的な思いにとらわれる人が少なくない。

しかし、認知症の人が何を感じ、考えているかを探る研究から、
「認知症になるとすぐに何も分からなくなる」訳ではなく、
認知症の人の心に目を向け“本人重視”の接し方を取り入れることで、
家族や介護者の多くが頭を悩ませている妄想や暴言・暴力などの
症状や行動を大きく改善することが明らかになってきた。

こうした最新の知見も踏まえ、
いま世界では「認知症になってもより良く生きられる社会」を目指した
社会変革 “認知症革命”が始まっている。


認知症と共により良く生きる方法とは?
国内外の先進事例を紹介しながら、その最前線に迫る。


NHK認知症革命その2の動画です








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認知症革命その1

認知症の人が、
今後ますます急増していくと予測される日本で、
今私たちは何ができるのでしょうか。

認知症予防のカギ!MCI(軽度認知障害)

認知症の予防のカギとして注目されているのは、
“MCI”(軽度認知障害)。認知症の一歩手前の段階です。

MCIの人は、必ず認知症になるわけではないことも判明!
認知症の段階ではなく、MCIの段階で見つけられれば“予防の道”へ進むことができます。


歩行速度で認知症のリスクがわかる!

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NHK認知症革命の動画です




MCIの前兆と対策

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運動

早歩きなどの有酸素運動と筋肉トレーニングを行うことです。

おすすめは「ちょい足しウオーキング」。
歩幅を5cm広げると体にかかる負荷が増えます。
心拍数の目安は120程度です。

食事

特に日本人は塩分の摂取量が多いため、塩分を控えるのはお勧めです。

認知トレーニング

フィンランドでは神経衰弱のようなゲームなどを行いました。囲碁や将棋なども。


健康管理 血圧などの管理や生活習慣病の対策をおこないます。






孤独死の作法

「単身世帯の終活」として
「ステキな孤独死」を迎える作法


「2030年には2人に1人が孤独死」を考える

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孤独死=悲惨は本当か?を問う本です

明るく前向きな「単身世帯の終活」として
「ステキな孤独死」を迎える6つの作法をご紹介しています

まえがきより抜粋

そもそも、「孤独死」というのは本当に悲惨なものなのでしょうか──。
看取られずに死ぬのは悪いことなのでしょうか──。
看取られることだけが「幸福な死」なのでしょうか──。

私は思うのです。
看取られずに死ぬのは、決して悪いことでも淋しいことでもない、と。
ましてや不幸なことでもない、と。
「孤独死」が避けられない現実であれば、これを受け入れればいいだけのこと。避ける必要などありません。

覚悟さえ決めてしまえば、「孤独死」もそれほど悪くないと思うのです。
悪いのは、看取られて死ぬことこそが「幸福な死」だと決めつけることでしょう。

ただ、「孤独死」は結果的に周囲に迷惑をかけることが多いようです。
発見が遅くなればなるほど、遺体は傷みます。
その事後処理はもちろん、葬儀やお墓、財産分与などの問題も出てきます。

多くの方は「遺される家族や親族に迷惑をかけたくない」とおっしゃいます。
ごもっともです。迷惑をかけたいと思っている人などいません。
でも、人がひとり亡くなれば、多かれ少なかれ誰かに迷惑をかけることになります(その人が迷惑と感じるかどうかは別として)。
それが「孤独死」であれば、なおさらです。

では、それを防ぐには、どうすればいいのでしょうか?
答えはひとつしかありません。相応の準備をしておくことです。
準備さえしておけば、残された家族や親族や友人への迷惑は最小限にとどめられます。
それが「孤独死」を覚悟した人の最低限のマナーかもしれません。

立つ鳥、跡を濁さず。
そう、「孤独死」にも作法があります。
本書は、避けようとしても避けられない、もしかしたら避ける必要なんてないのかもしれない「孤独死」を、前向きにあかるく迎えるための指南書です。



この本の目次

第1章 孤独死なんて怖くない!
第2章 作法1 自分の「老後」を想像する
第3章 作法2 できるだけ早く発見してもらう―早期発見のためのセーフティネット
第4章 作法3 遺産の行方を知っておく―孤独死と相続の不適切な関係
第5章 作法4 葬儀について最低限の準備をしておく―どんなふうに弔われたいか
第6章 作法5 入るお墓を用意しておく―あなたが安らかに眠る場所
第7章 作法6 遺された人にメッセージを残す―遺言書とエンディングノート
第8章 「ひとり」を楽しみ、ステキな孤独死を迎えるために







遺族年金を相続?

内縁の妻は遺族年金をもらえるか

条件を満たせばもらえますが、クリアするにはハードルが高いです

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チェンマイの友人との雑談です

男同士の雑談といえば
「女・お金・仕事」が雑談のお決まりコースでした

それが今では「健康・医者・薬」の話で
    「あっちが痛い、こっちが痛い」
    「昔は良かった」「若い頃は、、、」
    いきなり、話が飛んで仕事をしていた頃の
   手柄話「俺が外務省にかけあって、、、」
    「私のアイデアで○○億円、会社は利益が上がった」

    それぞれが、それぞれの話を
    自分のことを話すので他人の意見は聞きません
    そんな話で今日も一日、日が暮れます

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もしも、死んだらなどの会話も多くします

私は、友人の遺族年金申請をした事があることから
友人の間では遺族年金申請通で通っています

ある友人が遺族年金について一言

「私は遺族年金を日本のカミさんと今の彼女に
半分づつ分けるように、遺言書に書いておいた エヘン!」

と、大威張りの人がいました

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彼は日本に家族がいます
タイに来て5年、訪タイしてすぐに今の彼女と同棲しました
彼女は日本語は片言しか話せません。彼もタイ語はできません。
それでも、なんとかなっているようです

年に数回、年金を下ろしに帰国する彼は70歳で
帰国した時は、日本の家族の家に宿泊します
待っている彼女は23歳です

「遺族年金は財産ではないので、それはできないよ」
(遺族年金は受給者の一身専属的な権利です)

   「生計同一をちゃんと証明できなければ誰にも出ないよ」

「そんなことはない」 「ちゃんと調べてある」

「社会保険事務所に行って聞いたほうがいいです」

「法律的にも私の権利だから間違いがない」

何しろ彼は頑固で、信じて疑いません

議論の余地はありません
私はそれ以上のことは言わずにおきました




「遺族年金は、内縁の妻が受給する」
と遺言書で指定した場合、法的な効力はありません
ですから、遺言書で書いておいても、
内縁の妻が遺族年金を受給することはできません

日本年金機構の裁定は

※事実上婚姻関係にあったか

※生計同一関係にあったか



という要件をクリアしていなければ
社会保険審査会での裁定が下されます

重婚的内縁関係にある内縁の妻に、
夫が遺言書で遺族年金の受取りを指定したケースですが
過去の裁判の判例でこのような事例がありました

【公正証書遺言による指定】公正証書の説明は後述
私と内縁の妻は長く共同生活を行い、共に年金で生活し、生計を維持してきた。
よって、私が亡き後、社会保険に基づく私に対する年金及び遺族年金等が支給された場合は、内縁の妻にその年金等が支給されるように手続きをとってほしい。

【自筆証書遺言による指定】
遺族年金も内縁の妻に渡る様にして下さい。

上記のケースは、ともに事実婚の関係ですが
どちらのケースも遺族年金は否の裁定でした

話を元に戻します

彼の場合、年に数回帰国して、日本の自宅で寝泊まります
これは
「戸籍上の妻と夫の婚姻関係は形骸化していない」ということで、

内縁の妻は、遺族年金をもらうことができないと断言できます




内縁の妻は遺族年金をもらえないか?

遺族厚生年金も正式な婚姻をしてなくても
事実婚・内縁関係でも受け取れます


ただし、相続財産ではありませんので遺言状などは無意味です

事実婚・内縁関係で生活を同一にしていれば
遺族厚生年金を受取れますが
10年間の生計同一の証明を提出しなければなりません

つまり、恋人の関係の場合
生計を共にして、夫の収入で暮らしていた
ことを証明する必要です

10年以上の生計同一証明ができなければ
事実婚の遺族年金受領は難しいと考えます


それと、もう一つ
日本の家族も遺族年金を受け取れないかもしれません
別居した夫からの仕送りで生活していた証明ができなければ
生計同一とみなされないために、遺族年金は受け取れないでしょう


公正証書遺言とは
公正証書遺言の場合、遺言者は署名・押印する以外は何も書く必要がなく、公証人が遺言の内容を聞いて、遺言者に代わって遺言書をつくります。なお、公正証書を作成するときは立会人(証人)2名が必要です。
証書は通常、原本・正本・謄本の合計三通を作成し、原本が公証役場で保管されます。公証役場では通常20年または、遺言者が100歳になるまでのいずれか長い期間保管されます。正本と謄本は遺言者に渡されますので、正本と謄本の保管については遺言者の判断で扱うことになります。遺言執行者が指定されていれば、通常は遺言執行者において保管するのがいいでしょう。





プロセスこそ大事

結果だけが 人生じゃない

私たちは結果ばかりに目を奪われがちです
「どんな手を使っても、結果がよければいい」

短絡的な、虚無思想に走りがちな現代です

ともすると、下の漫画みたいな人生を歩んでしまいがちです

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一般的には「結果」はとても大事です。

スポーツやビジネスの世界では、
いくら途中経過がよくても、
いい結果を出さなければ
評価されないというのが現実です


それはとても健全で、格好のよいことです
しかし、結果だけでは意味をなさない事柄も、日常にたくさん有ります


人生に目的があるとすれば
「結果が目的ではなく、経過が目的」ではないでしょうか

「二度とない人生だから」

 「浜までは海女(あま)も蓑(みの)着る時雨(しぐれ)かな」 滝 瓢水(ひょうすい)

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一人の旅の僧が瓢水の評判を聞いて住居を訪ねると、
あいにく留守なので近所の人に尋ねたところ
「風をひいて気分が悪いので医者に薬を貰いにいっ た」と言われた

それを聞いた旅の僧は
「生死煩悩を離れて悟道の境地にあると聞いていたが、
たかが風邪くらいで医者にかかるとは娑婆に未練のある証拠
取るに足りない似非 坊主なら教えを乞う必要もない」
とあなどり去っていきました

医者から帰ってそのことを聞いた瓢水は、
近くの若者に僧を追わせ一枚の紙切れを手渡させました

そこには「浜までは海女も蓑着る時雨かな」と書いてあった のです

時雨は晩秋から初冬にかけて降る雨で、タイのスコールのような通り雨のことです

海女が、「どうせ海に入れば濡れるのだから蓑など着る必要はない」
とは言わず、浜まで傘をさして、浜までは濡れずにいきたいという
海女の気持ちを詠んだものです

人生はある意味短い
どうせ長くない命とわかっていても、折角人間として
生まれてきたこの命だから、最後の最期まで自愛の念で大切にしよう

一番大事な自分の体
二度とない人生
あきらめず 投げ出さず、
あせることなく最善を尽くして感謝の
その日暮しを一生懸命に

瓢水の句は、そのことを私たちに教えてくれます








チェンマイのロングステイヤー

チェンマイに住む日本人

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タイ第2の都市チェンマイは
「北方のバラ」とも称される美しい古都です

チェンマイを楽しむロングステイヤーを
紹介するユーチューブ画像です


タイ国政府観光庁





タイのテレビで紹介された番組
チェンマイに長期滞在する日本人インタビュー



パーゴルフは誤訳です
パークゴルフが正式名称です
公園で幅広い年代の人ができるスポーツとして、
北海道十勝支庁幕別町で考案されました

最近のアップロードから紹介しました




タイ カオパンサーのお祭り

カオパンサーのローソク祭り
(カオパンサーは2016年は7月20日です)

ローソク祭りで有名なのがタイ東北部
にぎやかに華やかに、見ていて楽しいお祭りです

特に、ウボンラーチャタニーのローソク祭りは盛大で
チェンマイから1,000kmありますが行って見る価値が十分にあります

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ウボンラーチャタニーの場所
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2015年のローソク祭りの様子です



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タイ カオパンサーのタンブン

タイのスーパーマーケットでは
カオパンサーが近づくと
巨大なローソクを売り始めます

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カオパンサーは、オークパンサーの日までの約3ヶ月の間、
僧は仏教の修行に専念するため寺にこもります

その修行を助けるためにローソクをタンブンしたのが始まりで
今でも、その風習が残っており、多くの人がお寺に奉納します

写真は中学二年生担当の先生方
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タイ仏教行事 カオパンサー

毎年恒例の
タイの宗教行事です

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タイの文化を体験できるチャンスですが、
お酒、たばこ、異性について
この期間中は、特に節度を持って対応しましょう

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2016年は
7月20日が「ワンカオパンサー」
10月16日が「ワンオークパンサー」です

この期間だけ
「3日間出家」「3ヶ月間出家」
(ビジネスマンも有給で出家し、仕事は奪われません)
男女とも、禁酒や禁煙の「禁欲生活」をする人も多くいます

タイの男性は
「出家」することで、「一人前になった」と認められます
日本の元服の儀式に似ています
また「出家」は禊(みそぎ)にも似ています
過去の清算をするために「出家」します
殺人や麻薬などの犯罪者が出所後、「出家」して
身を清め、その上で故郷で暮らす人は多いです

カオパンサーの期間中は
結婚式や新築祝いなどの
新しくなる行事は行わないのが普通です
お葬式は待ったなしなので、仕方ないようですね

カオパンサー期間の後半には
肉や魚を食べない「ギンジェー」が約10日間あり
精進料理を食べます
(「齋」はタイ語では「กินเจ(ギンジェー)」)

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ブッダ 大いなる旅路 「タイの仏教」
18年前のドキュメンタリーです