「ゼロ葬」とは?

「ゼロ葬」とは、
火葬したらそれで終わらせることをいい、
遺骨の処理を火葬場に任せ、一切引き取らない方法です。

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多くの火葬場では遺骨の引き取りが原則とされていますが、
場所によっては引き取らなくても構わないところがあり、
その場合は火葬場で処分されるか寺院の境内に埋めて供養してくれるとのこと。

「お金がなくて墓が持てない」
「埋葬を頼める親族がいない」という場合、
遺骨を引き取ることになったら、あなたはどうしますか?

いま、こうした行き場のない遺骨が急増!
こうした中、3万円前後の手頃な価格で遺骨を引き取る新たなサービスが広がっている。








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埋葬を考える

もしもあなたが死んだら

あなたは、どのように埋葬されたいですか?



平安時代末期の「餓鬼草子」には
埋葬の絵画があり、当時の埋葬法が記されています。

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土饅頭(左側)が土葬です。
火葬(右側)は貴族、豪族のお墓です。

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平民は墓地で鳥獣葬にしていました。
上に男性、下に女性の裸の死体と白骨があります。
裸にして鳥や獣が食べやすいようにしてあります。

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埋葬・葬送の種類

火葬 遺体を焼却し葬送する方法です。
日本には仏教と共に火葬が伝わり、記録に残る最初の火葬は700年に僧の道昭のものだとされています。 現在の日本では、一部の神道などの宗教的な問題か、離島や山間部など火葬場のない僻地以外ではほぼ火葬により遺体が処理されています。
また日本の墓地、埋葬等に関する法律では定められた疾病以外で亡くなった場合に、死後24時間以内は火葬してはならないという決まりもあります。
なお1873年(明治6年)には神道派の要望で火葬禁止令が出されましたが、2年後の1875年(明治8年)に仏教派からの反対もあり解除されました。
海外では儒教やイスラム教、キリスト教の一部の宗派では火葬が禁じられていたり、火葬を行わない場合があります。


土葬 遺体をそのまま地面に埋葬する葬送方法です。
日本では昭和の初期までは一般的に行われていました。現在でも法律で禁止などはされておらず(定められた疾病以外の場合)、山間部などの僻地では土葬が行われている地域も有ります。
しかし東京都や大阪府など自治体によっては、衛生面などの問題から条例で禁止をしている場合も有ります。

東日本大震災の際には遺体保存の為の施設やドライアイスの不足、火葬場の被災による使用不可などから、多くの遺体が土葬されました。

土葬を行った後に棺おけや遺体が腐ると土葬を行った場所がへこんだり沈み込んだりするため、再び土を盛らなければならないなど後の手間がかかる場合があります。
心霊現象などで語られる火の玉は、土葬した人体から出たリン(燐)が水などと反応して発火したものだといわれています。


風葬 遺体を埋葬せず風雨にさらし風化させる葬送方法です。
崖下墓や洞窟、樹木の上などで風葬が行われます。
日本でもかつて琉球地方などで行われていました。


散骨 遺体を火葬した後の焼骨を粉末状にしたあと、川、海、空、山、森林などの撒く葬送の方法です。
日本では一部地域では条例などで禁止されていますが、ほとんどの地域では法律上散骨を行っても問題はないようです。 しかし、散骨した近くや河川などの下流に住む人たちからの苦情や問題が発生するなどしており、実際に散骨を行える場所はかなり限られてくるようです。 外国ではブータンや中国などでは一般的に散骨が行われています。
横山やすし、hide、新井注、石原裕次郎、フレディ・マーキュリー、アルベルト・アインシュタイン、ジョージ・ハリスンなどの有名人は散骨を行ったようです。


直葬 日本で一般的な仏教形式では人が亡くなると、通夜→葬儀・告別式(いわゆる葬式)→火葬→葬送の順で行われますが、葬式などを行わず火葬と葬送のみを行う方式です。


水葬 遺体を海や川に流して沈める葬送方法です。
現在の日本では法律で禁止されていますが、船員法により船舶の航海中に人間が死亡した場合に船長の権限で行うことや、自衛隊でも状況に応じて水葬を行うことが出来ます。 船員法15条では水葬に関して以下の条件が定められています。
死亡後24時間経過したこと(伝染病以外)
衛生上、船内に死体を保存できないこと。(ただし、船舶が死体を載せて入港することを禁止された港に入港しようとするときその他正当の事由があるときを除く)
医師の乗り組む船舶にあつては、医師が死亡診断書を作成したこと。
伝染病によつて死亡したときは、十分な消毒を行つたこと。
本人写真の撮影、遺髪、遺品の保管をし、遺体が浮き上がらない処置を講じた上で相当の儀礼をもって行うこと。

防衛省訓令 隊員の分限、服務等に関する訓令・第21条では水葬に関して以下の条件が定められています。
医師が乗り組む船舶にあっては、医師が死亡診断書または死体検案書を作成していること
伝染病によって死亡したときは、感染症法およびこれに基づいて発する命令の規定による消毒方法をしていること
海外ではインドのガンジス川などでヒンドゥー教徒による水葬が行われています。


鳥葬・天葬・空葬 鳥に遺体を食べさせることにより葬送する方法です。
チベット仏教や、パールスィーと呼ばれるインドのゾロアスター教徒が鳥葬を行います。
チベット仏教では遺体を石で出来た鳥葬台に置き、専門の職人が遺体を解体しハゲワシなどの鳥が食べやすいようにします。
ゾロアスターでは沈黙の塔(ダクマ)と呼ばれる石で出来た円筒形の構造物内に遺体を置き鳥葬を行います。
日本では鳥葬は行えず、刑法190条の死体損壊罪で罰せられる可能性があります。


塔葬 チベット仏教でダライラマやパンチェンラマなどの位の高い僧などに対して行う葬送方法です。
塔葬は遺体に塩を塗りこみ乾燥させ、香料や薬品をぬり遺体を保存する方法です。
場合によっては火葬した遺骨を保存し塔葬とする場合も有るようです。


樹木葬 遺体を埋めた場所に墓石ではなく、樹木を植える葬送方法です。
樹木葬ではハナミズキ、サルスベリ、ウメモドキ、エゾアジサイ、ムシカリ、ツリバナ、モミジなどの種類の木が使用されます。



野ざらし葬・林葬 遺体を野原や林などに放置して、鳥獣に施したり、腐敗と風化を自然に任せる葬送方法です。


洗骨葬 遺体を一度土葬や風葬し、骨の状態にしてから、骨を清めて再度埋葬する葬送方法です。
東南アジアや、沖縄、奄美諸島で洗骨の風習があり、日本でも離島の一部では現在も行われているとされています。
沖縄などの琉球諸島や奄美諸島では風葬を禁止された明治ごろから行われたといわれています。


冷凍葬 遺体を液体窒素で冷凍し粉砕して粉にしてから乾燥させて埋葬する方法で、火葬などに比べて環境への影響が少ないとされています。
スウェーデンで開発された葬送方法です。



宇宙葬 遺骨などをロケットで宇宙空間や地球を周回する軌道上に打ち上げで散骨する葬送方式です。
ロケットには多くの遺骨を搭載することが出来ないため、数グラムと少量の遺骨を搭載させます。
宇宙葬となっていますが、実際には地球を周回する軌道に乗せられて数年後に地球の重力につかまり、大気との摩擦で消滅します。
シューメーカー・レヴィ第9彗星の発見者ユージン・シューメーカーは宇宙葬により遺骨が探査機ルナ・プロスペクターにより月に送られ、 冥王星の発見者クライド・トンボーは遺骨が冥王星探査機ニュー・ホライズンズに搭載されて現在も宇宙空間を太陽系外に向けて移動しています。



エンバーミング 死体防腐処理、遺体衛生保全とも呼ばれています。

死後の遺体を消毒し保存処理(防腐剤の注入や、内臓と血液の摘出)を行ったもので、通常は数日から数週間で腐敗が始まりますが、 高度な防腐処理と定期的なメンテナンスを行うことで長期保存を行うことも可能です。

エンバーミングでの遺体保存は主に社会主義国の指導者に多く、有名なエンバーミングの遺体保存には以下が有ります。

ウラジーミル・レーニン・ヨシフ・スターリン・蒋介石・蒋経国・毛沢東・金日成・金正日・ホー・チ・ミン・フェルディナンド・マルコス・ゲオルギ・ディミトロフ・チョイバルサン・クレメント・ゴットワルト・アゴスティニョ・ネト・フォーブス・バーナム・ウゴ・チャベス





「足りるを知る」と「安楽死」

「高瀬舟」を久しぶりに読んだ

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森鴎外
の代表作「高瀬舟」のテーマは、「知足」と「安楽死」です

医者(軍医)だった「高瀬舟縁起」に森鴎外自ら書いています

安楽死という概念は、日本でも明治時代にすでにありました




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 「知足」

 「庄兵衛はただ漠然と、人の一生というような事を思ってみた。

 人は身に病があると、この病がなかったらと思う。

 その日その日の食がないと、食ってゆかれたらと思う。

 万一の時に備えるたくわえがないと、少しでもたくわえがあったらと思う。

 たくわえがあっても、またそのたくわえがもっと多かったらと思う。

 かくのごとくに先から先へと考えてみれば、

 人はどこまで行って踏み止まることができるものやらわからない。」



 その点、罪人・喜助は、苦しい生活から一転、

 皮肉にも罪人となることで、食事をもらえるようになり、

 流刑先での生活費までもらえるようになり、晴れ晴れとしている。

 あの極貧生活に比べれば、十分すぎるほどの待遇をしてもらっていると、

 満足している様子に、船守りの庄兵衛 は、

 「足るを知る」境地にいるような喜助に、人生というものを考えさせられる




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 「安楽死」

 喜助の犯した罪は、弟殺しの罪であったが、

 苦しむ弟を楽にしてやりたい、という一心からの行為であり、

 殺意ある殺人ではなく、いわゆる「安楽死」であった。

 「これが果して弟殺しと云うものだろうか、
 
 人殺しと云うものだろうかと云う疑いが、

 話を半分聞いた時から起ってきて、聞いてしまっても、

 その疑いを解くことが出来なかった。

 弟は 剃刀を抜いてくれたら死なれるだろうから、抜いてくれと云った。

 それを抜いてやって死なせたのだ、殺したのだとは云われる。

 しかし其の儘にして置いても、

 どうせ死ななくてはならぬ弟であったらしい。

 それが早く死にたいと云ったのは、

 苦しさに耐えなかったからである。

 喜助はその苦しみを見ているに忍びなかった。

 苦から救ってやろうと思って命を絶った。

 それが罪であろうか。

 殺したのは罪に相違ない。

 しかしそれが苦から救うためであったと思うと、

 そこに疑いが生じて、どうしても解けぬのである。」

 苦しみがあれば、苦しみがなければと祈る。

 苦しみが無くなりさえすれば、それで十分、それ以上は望まない、

 とその時は思う。

 贅沢は言わないから、この苦しみから解放されたい、と願う。



 人間は、生きていること、それだけで素晴らしい、

 そのことを喜ばなくてはならない、と言われる。

 でも、苦しくなると、とてもそんなことは言っていられない。

 生きているだけで満足せよとは言えない。

 「生きている」
 ただそれだけに満足できなくなったときが、死ぬときなのだろうか?

 安楽死の是非の境目は、あるのだろうか?

 人間は、何がどうなれば、満足できるんだろうか?

 満足してしまったら、向上がなくなると人は言う。

 それでは、死が避けられない人にとっての、向上とはなんぞや?



 どこまで頑張れば、

 「十分頑張った、頑張ってきてよかった」

 と満足できるのかが分からない?

 そもそも、お金にしても「知足」などあり得るか?

 儲かれば儲かるほど、もっと欲しくなるだろうし、

 刺激が更なる刺激を求め、欲望は肥大し、止まらなくなる。

 やがて、その欲望が、自分自身の首を絞めることになっても・・・。



 「安楽死」

喜助の穏やかさの基になっている 「知足」

どのように捉えるかは、人それぞれでしょうが

答えが出ずに、いつもここで止まってしまう私の読後です。



自殺幇助が合法化されているスイスで
宮下洋一氏が、ある女性を取材した記事です

「安楽死選んだ女性 最後の16時間の一部に密着」

http://news.livedoor.com/article/detail/11474208/






高齢者の終末期医療

■□■高齢者の終末期医療■□■
                               
山口 謙亨

ヨーロッパの福祉大国であるデンマークやスウェーデンには、

いわゆる寝たきり老人は居ないと言われています。

イギリス、アメリカ、オーストラリアも寝たきり老人はほとんど居ないとのことです。

一方、わが国のいわゆる老人病院には、

一言も話せない胃ろう(口を介さず、胃に栄養剤を直接入れるため、

腹部に空けた穴)がつくられた寝たきりの老人がたくさんいます。

不思議でした。

日本の医療水準は決して低くありません。

むしろ優れているといっても良いくらいです。

「なぜ、外国には寝たきり老人はいないのか?」


その理由は高齢あるいは、癌などで終末期を迎えたら、口から食べられなくな

るのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的

であると、国民みんなが認識しているからです。

逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。

ですから日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって

胃ろうはつくりませんし、点滴もしません。

肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。

内服投与のみです。

したがって両手を拘束する必要もありません。

つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっています。

寝たきり老人がいないのは当然です。



「胃ろうも点滴もしないで苦しくないのか?」

終末期の高齢者に胃ろうも点滴もせずに看取る国があるという話をすると、

きまって「餓死させるのか」、「飢えや脱水で、苦しんで死ぬのでは」という声が上がります。

お腹がすいて苦しいのが”飢え”で、飢えで死んでいくのが”餓死”です。

空腹を強く感じるからこそ苦しいのです。

終末期の高齢者は食欲がほとんどありません。

胃腸も弱り、食べ物も受け付けません。

かりに何か食べたいとしても、ほんの少し食べ物を口にするだけで満足します。

つまり”飢え”や”餓死”ではありません。

また、”口渇”を訴えるときは、少量の水や氷を口に含ませてあげるだけで喉の渇きが癒せます。

点滴では喉の渇きを癒せません。

日本にも自然な看取りをしている老人介護施設があります。

「皆さん眠るようにして亡くなられます」と言います。

私達が訪れた欧米やオーストラリアの施設でも同じです。

胃ろうも点滴もしないで、眠るように安らかに亡くなる、という事実を裏付ける研究があります。

動物を脱水や飢餓状態にすると脳内麻薬であるべーターエンドルフィンやケトン体が増えます。

これらには鎮痛、鎮静作用があります。

自然な看取りで亡くなった方にも同じ事が起こっているはずです。



「患者の快適さを重視」

患者の尊厳と生活の質(Quality of Life)を考えると、

終末期の高齢者に胃ろうを作ったり、点滴をしてまで

延命を図ることは非倫理的と考えるのが一般的です。

延命医療よりも、如何にして患者を快適にできるのか、

という緩和医療に重きが置かれています。

わが国では「何もしないなんて、かわいそう」、「餓死させられない」、「1日でも長く生きて欲しい」といった、

遺される家族の想いばかりが優先され、患者の気持を推し量り、

どうしたら患者の満足や幸福感を高め、身体を快適な状態にできるのか、

という緩和の考えが後回しにされてきたのではないでしょうか。



「延命治療拒否宣言書」

本人が正常な判断力や意思表示ができない場合、

緊急時や必要に応じて医療関係者に提示して、

本人の意思どおり(自己決定権の尊重)の死を迎えられることができるように書いたものです。

様式はいろいろあります。

(チェンマイ介護研究会にもありますので、御入用の方は御連絡ください。)



「高齢者の終末期医療」

日本人の死生観、宗教観といったものは、'根本的に欧米とは違っていると思います。

胃ろうを勧める理由の多くはエゴでもなければ金銭目的でもありません。

肺炎を繰り返す老人を家族が介護できないし、

入院しても結局高カロリー点滴で生かせることを望まれるケースが多いのです。


高カロリー点滴(中心静脈栄養)を長期間続けることは

新たなリスクを生み、高額医療となります。

そこでやむを得ず誤嚥性肺炎を起こしにくい胃ろうを提案することになります。

「胃に穴を開けるなんてとんでもない」と思われる家族も多いですが、

実際には安全で非常に管理しやすいし合併症が少ない。

そして不要になれば簡単に閉鎖できる。

そういうわけで長期高カロリー点滴を中止する目的で胃ろうを勧めるケースがほとんどです。

今の日本で、”たかが肺炎”で死なせたら家族から訴えられる可能性もあるし、

実際に肺炎が治って帰宅できる可能性もあります。

しかし癌の末期の方に胃ろうや呼吸器を装着することは無いと思います。


日本の医療、欧米の医療、その善し悪しを比べることは制度上意味がないかと思われますが、

他の国の老人の心の持ちようを知ることには意味があろうかと思います。

日本では、すぐ欧米と比較したがりますが、

より近い文化的価値観を持つアジア諸国の現状と比較しても、

日本の終末期医療はかなり突出して異様です。

胃ろう造設率は、多分世界中で日本だけが突出して多いということになるでしょう。

胃ろうは、病院から退院させるため、そして施設で引き取ってもらうために作られます。

これは価値観でなく、現在の医療制度から来る問題です。

施設で胃ろうが必要な理由は二つあります。

一つは手間の掛かる食事介助に十分な人手が不足していること、

もう一つは、経口摂取が出来ない方を施設で看取ることについての社会的合意がなされていないことです。

しかし社会的合意に関しては、最近急速に変わりつつあるようです。

日本老年医学会が胃ろうの是非について提言を発表したことなどもその一つです。


なお一部のご意見「Living will」が現場では通用しない」というものがありましたが、

これはゆゆしきことです。

ここで論じられるのは、

あくまで治療の是非について本人の意思が確認できない場合であって、

Living will などで本人が明確に意思表示しているのに、

その意に反した治療が強行されるのであれば、これは全く次元の異なる問題です。


SCCニュース第11号より




タイでホスピス実現のために

■□■………………………
   ホスピス実現のために      
…………………………■□■
    
先月号では、ホスピスの意味とその必要性について触れました。

ホスピスの語源は、「暖かいもてなし」であること、死を宣告された人に寄り添い、

生活のお手伝いや精神的な慰めをすることが、

身寄りの少ない異国タイにおいては特に必要であることを述べました。

実は、ホスピスが必要なのは、癌患者など死を間近にした人に限ったことではありません。

先の第2回シンポジウムで、ある独り身の方が

「万一の事態に遭ったらどうなるか、不安だ」と訴えていました。

日本国内においても、孤独死は大きな問題になっています。

独り身でなくても、不測の事態が起きた時、冷静に対処できる人はどれだけいるでしょうか。

皆が安心して生活できるように、広い意味でのホスピス活動が、

私たち日本人ロングステイヤーに必要とされていると思います。


それでは、どうしたらホスピス活動が実現できるでしょうか。

それには、ホスピス精神を持った人たちが協力しあう機関、グループづくりが必要だと思います。

先月号でも触れた「ランナーケアネット」が一つの手本になるのではないでしょうか。

代表のナンシーさんと癌患者のケアを担当するカールさんは、

活動の精神についてこう言っていました。

「お世話になっているタイに恩返しをしたいけれど、この国の法律では活動にさまざまな制限がある。

ならば、せめてロングステイヤーの仲間がタイ国民に迷惑をかけることを少しでも減らしたい。

活動を通して、自分自身の精神が豊かになり、人間的に成長できる」。

私たちも利益のためではなく、

彼等のようにホスピス精神を持った人たちが連携して助け合う事は出来ないでしょうか。

先のシンポジウムのグループ討議の中でも、お互いに助け合いたいという声がありました。

他国に住む人は、自己責任が基本ではありますが、助け合いも必要です。

自分自身、助けが必要な日も来るでしょう。

その時は、自分ができることはしたうえで、

心からの感謝をもってお世話になればそれで良いと思います。


最近の日本人は助け合いの精神が薄くなったと言われています。

私はそうではなく、核家族化など、社会環境に変化がそうさせているのだと思います。

私たちは自由な時間を持っています。

その時間のごく1部を助け合いのために使うことは、さほどの問題もなく出来ると思います。

そして、その少しの時間が

死期を間近に控えた人を慰め、

不慮の事故に遭遇した人を助け、

介助を必要とする人の力になり、

孤独死を減らすなど、さまざまな助け合いに役立つと思います。

たとえ、外に出て動くことができない人でも

たった1日1本、独り身の人に毎日電話をし、健康を確認することができれば

立派なホスピス活動であり、私達研究会が目指している互助活動になります。


此処で大切なことは、個人的なことに深入りしないことです。

他にもルールづくりが必要です。

連絡が取れない時はどうするのか、他の仲間の手を借りるにはどうするのか、

実費の支払い方法など、助け合いをスムーズにするためのルールをつくり、

担当を決めて、さまざまな事態に備えなければなりません。

総領事館や病院など他の組織との連携も必要でしょう。

勉強会も必要かも知れません。

志のある人が知恵を出し合い、出来るところから地道に活動をしていかなければなりません。

そして、そんな仲間が定期的に集まり、食事でもしながら情報交換をし、

親交を深めるならば、それ自体が「生きがい」にも?がります。


私たちの研究会は、単なる研究会の枠を超えて、こうした活動もしていきたいと考えています。

賛同される方は、ぜひ 「チェンマイ介護研究会」 に連絡ください。ご一緒に考えましょう!

(文責 : SCC生活支援グル-プ、よっちゃんこと志田義晴)


SCCニュース第7号より